戦国時代

織田信長が使用していた3本の刀

[鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス]の俳句で有名な織田信長。

ここ最近だとTVドラマや映画などでも信長を題材としたものが目立ちますね。

豊臣秀吉や徳川家康と比較しても冷酷なイメージが一番強い織田信長。

今回はそんな織田信長が愛用していた刀にスポットを当てて、記事にまとめていきたいと思います。

織田信長は、生涯3本の刀を愛用しており、それらをすべて紹介していきます。

 

織田信長

 

生涯

1534年5月、織田信秀の嫡男として尾張で誕生。

1546年、13歳の時に古渡城にて元服し、三郎信長と名乗るようになります。

1551年には父の信秀が流行病で亡くなり、家督を継ぎました。

この時の相続自体には特に問題がなかったと言われています。

 

その後、信長は[守護を守る]という大義名分で尾張中心だった清須城を乗っ取るようになり、守護代織田家の家臣筋だった織田信長は「織田本家」となりました。

1560年には、桶狭間の戦いで今川義元と対峙し勝利。

3〜4万の今川軍に対し、2〜5千の織田軍ではまともにぶつかっても勝機がないと判断した信長は、奇襲をかけたことで今川義元の首を討ち取ったとされています。

ちなみにこの奇襲は日本三大奇襲の一つとして数えられているそうです。

 

1575年には、長篠の戦いで最強レベルと呼び声高い武田軍の騎馬軍団を火縄銃を用いて撃破しました。

そして、信長の最期は1582年、未だ謎に包まれている本能寺の変で死去したとされています。

ちなみに本能寺の変についてはいろいろな噂があり、「実は黒幕が!?教科書に描かれない本能寺の変の真実に迫る!」という記事に詳細をまとめています。

享年は49歳。

 

性格

 

長所

 

優秀な人間には非常に寛大

家督争いをしていた時に信勝側についた柴田勝家や林秀貞らを許したというエピソードや謀反人の代名詞としても知られる松永久秀に対しても、2度もその行為を許していることでも知られています。

反対に目立った働きがない家臣については追放するなど、あくまで優秀な人間に寛大だったということになります。

 

身分にとらわれない

足軽だった秀吉や忍者出身の滝川一益など、身分に関係なく優秀であれば抜擢し、重く用いたというエピソードは有名です。

また、庶民とも分け隔てなく接するなど、信長は身分の差をあまり気にしない性格だったことは間違いないと言われています。

 

短所

 

冷酷で無能な家臣には厳しい

[鳴かぬなら、殺してしまえ]の俳句が有名ですが、この通り冷酷な人柄がうかがえます。

前述した通り、無能な家臣には厳しく追放します。

 

他人の意見に耳を貸さない

自意識過剰として知られる信長は、家臣の意見は全く聞かず全て自分で決断してきたとのことです。

 

自由主義の政策

 

楽市楽座

[座]と言われる同業組合が有力大名に税を納めることで新規参入ができない状態だったのに目をつけた信長がとった政策です。

この楽市楽座で座を廃止し、関所も撤廃しました。

これにより、安土城下で商人たちは自由に商売ができるようになりました。

 

兵農分離

半農半士の状態だった農民と兵士をはっきりと分け、それぞれの専門性を高める政策です。

この兵農分離により兵糧の安定供給と季節に左右されない出兵が織田軍を支え、合戦を有利に進めることが可能となりました。

織田信長が愛用していた刀

 

義元左文字

今川義元の愛刀だった義元左文字。

桶狭間の戦いで義元が信長に敗れたことで、信長の手に渡りました。

[永禄3年5月19日に義元を討ち取った際に彼が持っていたもの]という意味の銘が入っており、信長は終生この刀を大事にし手元に置きました。

信長の死後は豊臣秀吉や徳川家康のもとを点々とし、その後は徳川将軍家の宝となりました。

 

圧切長谷部

名前の由来は、人の身体を圧し斬るすごさという意味からきているようです。

この刀は信長から秀吉、秀吉から黒田長政に渡ったとも言われ、さらには信長から黒田孝高に与えられたとも言われています。

その後は黒田家の宝となりました。

 

長篠一文字

元々は信長が所有していたこの刀は長篠の戦いで武田側から離反し、織田・徳川方の味方となって籠城戦で活躍した奥平貞昌の功績を称えて、信長が貞昌に送りました。

その後は、西郷隆盛や明治政府の重鎮・山縣侯爵家の所有となりました。

まとめ

冷酷非道な印象が強い織田信長。

ただ、能力ある者に対しては寛大に受け容れ親密に接していたようですね。

 

天下一を獲った視点から見ると、これは普通なのではないかと思ってしまいます。

ビジネスの世界に置き換えると、経営者の視点となり無能な社員はクビにするのと一緒です。

アスリートの世界で見れば、結果を残せない選手は解雇となります。

 

昔から現代になっても実力や実績を残せている者が世間から評価されるというのは変わらないということです。

天下統一をした人物から得られる学びというのも現代人にとって大きな収穫となりますね。